日本最古の庶民の学校

閑谷学校

岡山城・後楽園と岡山藩主池田光政のときに郡代の津田永忠によって大幅に改修されましたが、その中でも閑谷学校(しずたにがっこう)は日本で最古の庶民学校で藩士のための学校として、岡山藩立の学校として開かれました。閑谷学校の建造物のうち、講堂は国宝に指定されているほか、小斎・飲室・文庫・聖廟・閑谷神社・石塀など24棟が国の重要文化財に指定されています。また、旧閑谷学校は、周辺の津田永忠宅跡と黄葉亭などを含めて、国の特別史跡に指定されています。また秋には紅葉の名所としても知られていて、2本の巨大な楷(かい)の木や周辺のもみじが美しい名所です。

使用されている瓦は、釉薬を使用しない窯変瓦になっていて、備前焼技法が応用されています。この瓦は焼き具合によって1枚1枚色合いが違うのが特徴になっていまする。また一般の瓦が寿命60年といわれるのに対して、閑谷学校の瓦は300年経過しても殆ど割れないまま使用できるのが特徴になっています。

学校の建築には32年の月日を費やしていて、他に例をみない手間隙をかけた質とスケールを誇り330余年の歴史をもっています。地方の指導者を育成するために武士だけではなく、庶民の子弟も教育しました。また、広く門戸を開いていたため他藩の子弟も学ぶことができました。就学年齢は8歳頃から20歳頃までとなっています。カリキュラムは1と6の付く日には講堂で儒教の講義があり、5と10の付く日は休日となっていました。「日本外史」を書いた頼山陽といった著名人も来訪していて、少年時代の大鳥圭介(軍学者・外交官)もここで学んでいます。

岡山藩は学校領を設けて藩財政より独立させて、学田や学林を運営させました。これをすることで、もし国替や改易といったことで岡山藩主が交替となった場合でも、この学校が存続するようとの工夫でした。このような工夫をしていることで、岡山藩がこの学校をいかに重要視していたのかが窺えます。

閑谷学校の沿革

  • 1651年(慶安4年)・・・熊沢蕃山が閑谷学校の前身となる庶民教育の場「花園会」の会約を起草しました。
  • 1666年(寛文6年)・・・池田光政が和気郡木谷村付近を視察しています。
  • 1667年(寛文7年)・・・藩立の町方手習所を設置しました。
  • 1668年(寛文8年)・・・木谷村延原(現在の備前市閑谷)に手習所を設置しました。他にも122カ所の郡中手習所(町方手習所より改称)を設置しています。
  • 1670年(寛文10年)・・・津田永忠を奉行にして、手習所を拡張して閑谷学校の建設が始まります。延原を閑谷と改称しました。
  • 1673年(延宝元年)・・・講堂が完成しました。その翌年に聖廟が完成しました。
  • 1675年(延宝3年)・・・藩財政の逼迫から郡中手習所を全廃して、閑谷学校に統合しました。
  • 1682年(天和2年)・・・池田光政が没しました。享年74歳です。
  • 1701年(元禄14年)・・・新たな講堂が完成して、全容が整い現在の姿となりました。
  • 1702年(元禄15年)・・・御納所(椿山)が学校敷地の東隣に造営されて、池田光政の遺髪・爪などがここに納められました。
  • 1707年(宝永4年)・・・津田永忠が没しました。享年68歳です。
  • 1814年(文化11年)・・・頼山陽が来遊しました。
  • 1870年(明治3年)・・・閑谷学校を閉校しました。
  • 1873年(明治6年)・・・山田方谷を招聘して、閑谷精舎として再開しました。
  • 1884年(明治17年)・・・西毅一によって閑谷黌として開校しました。
  • 1903年(明治36年)・・・私立旧制閑谷中学校となりました。(校長・西毅一)
  • 1905年(明治38年)・・・学房跡に新校舎が完成しました。この新校舎は、現在の閑谷学校資料館です。
  • 1921年(大正10年)・・・岡山県に移管され岡山県閑谷中学校となりました。
  • 1922年(大正11年)・・・史蹟名勝天然紀念物保存法により、閑谷学校が国の史跡に指定されました。
  • 1938年(昭和13年)・・・講堂、聖廟、神社等25棟が国宝(旧国宝、現行法の重要文化財に相当)に指定されました。
  • 1948年(昭和23年)・・・学制改革により閑谷中学校は岡山県立閑谷高校となりました。この翌年、岡山県立和気高校閑谷校舎(現在は岡山県立和気閑谷高等学校)となりました。
  • 1950年(昭和25年)・・・文化財保護法の施行によって、講堂、聖廟、神社等25棟は重要文化財となりました。
  • 1953年(昭和28年)・・・旧閑谷学校講堂が文化財保護法に基づいて、国宝に指定されました。
  • 1954年(昭和29年)・・・旧閑谷学校が特別史跡に指定されました。
  • 1964年(昭和39年)・・・和気高校閑谷校舎が閉鎖しました。
  • 1965年(昭和40年)・・・旧閑谷校舎は岡山県青少年教育センター閑谷学校となりました。
  • 1995年(平成7年)・・・岡山県青少年教育センター閑谷学校が移築となって、旧校舎は資料館となりました。

岡山藩主
~後楽園・岡山城の成り立ち~

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